除夜の鐘・修正会(しゅしょうえ)のご案内

12月31日(大晦日) 除夜の鐘と修正会を厳修致します。

修正会は新年最初のお勤めとされていますが、稱名寺では昔から、除夜の鐘を打鐘する前にお勤めします。また、除夜の鐘は昨年より東日本大震災で被災された方への支援金として、一打に付き500円以上のご協力をお願いしております。

昨年の除夜の鐘記事 http://shomyo-ji.com/news/?m=201201

※ご門徒の方で修正会法要から参加される方は境内で受付をしないで、玄関よりお上がり下さい。本堂内で受付を致します。午後11:20より法要が始まります。打鐘開始は午後11:45頃。

一般受付方法
受付場所 境内テント
午後11:15~45 一打500円以上
受付をされた方全員に鐘を撞いてもらいます。(108打以上になります)
複数人で一打を撞くことも出来ます。
中学生未満は保護者同伴でお願いします。

12月の同朋の会

2012年12月18日 12月の同朋の会が開かれました。同朋の会は毎月28日ですが、12月は年末になるため18日開催です。別記事に記載の通り、本堂で仏具清掃をしていただいているので、庫裏で勤行をしました。

正信偈のお勤めのあと、仏法を聞き、語り合うつどいです。毎回内容が異なりますが、お話・輪読(本を読む)・ビデオ鑑賞を通して、お念仏の教えを聞いてまいります。 毎月28日夜7時から9時 10月は休止 12月は18日

なお、1月の同朋の会は、稱名寺旅行の次の日になるので、休止させていただきます。旅行にご参加下さい。 次回は2月28日になります。

稱名寺旅行 http://shomyo-ji.com/news/?p=793

下の写真は12月7日に撮影しました。

仏具清掃

2012年12月17~19日

寺院仏具の智祥さんという専門の業者の方に3日間入っていただき、清掃をしていただきました。普段のおみがき奉仕では、手のつけられない内陣、空殿(廚司)、仏具など、細かい部分の清掃を年1回程度お願いしております。

赤穂義士遺品一般公開

2012年12月14日 稱名寺に伝わる赤穂義士遺品の展示会を行いました。
遠近各地より、230名ほどの方々が稱名寺を訪れ、赤穂義士・下平間の歴史に思いをはせました。また、ご門徒7名の方にお手伝いいただきました。
一般公開は年1回のみです。来年も12月14日に行います。

まちたんけん

2012年12月13日

隣接する下平間小学校の2年生(9名)が生活科の授業の「まちたんけん」で稱名寺に来てくれました。お花屋さんや、本屋さん、お寿司屋さん、ケーキ屋さんなど班ごとに近所を見学する授業です。本堂・庫裏・境内を見学して、お寺という場所、お仕事、歴史などについて副住職がお話ししました。 

赤穂義士遺品一般公開のご案内

2012年12月14日(金)に例年通り、稱名寺に伝わっている赤穂義士遺品の一般公開を致します。午前9時半から午後4時です。(無料)

時間は決まっていませんが、住職が適宜ご説明を致します。

以下稱名寺ホームページより転記

● 稱名寺と赤穂義士

江戸時代、元禄15年(1702)12月14日に起こった赤穂浪士四十七人による吉良邸討ち入り事件は現在に伝わる有名なお話です。討ち入り前日の13日付けで大石内蔵助は赤穂藩主浅野家の菩提寺へ『大石内蔵助より花岳寺ほかへ送る暇乞いの状』なる長文の遺言状を送っています。その文中には討ち入りのため、京都を旅立った後、神奈川に入り鎌倉に宿泊、その後川崎近所平間村に逗留との記述があります。この逗留の場所が稱名寺前の道を挟んだ平間村の農家軽部五兵衛屋敷です。五兵衛は事件の起こる前より江戸城下の赤穂藩上屋敷に出入りし、平間村でとれた秣(まぐさ)を屋敷内の馬の飼料として納め、帰りに下肥を持ち帰って田畑の肥料としておりました。この関係があり赤穂藩主浅野内匠頭の切腹後も、江戸に残った浪士との交流が続き、五兵衛の屋敷内には浪士のための寓居が建てられ、主に四十七士の一人富森助右衛門が居住しておりました。この寓居に討ち入り直前の大石一行が10日間程(10月26日~11月5日)立ち寄り、準備を進めたのです。 このような関係があり、稱名寺には「紙本着色四十七士像(川崎市文化財指定)」他、大石内蔵助の書画など14点ほど遺されています。川崎大空襲の前に地元の農家土蔵に疎開しており焼失を免れました。遺品は毎年12月14日に年1回、一般公開しております。