稱名寺とその周辺の植物(12)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第17号(2020年10月発行)からの転載です。

稱名寺とその周辺の植物(12)

今回は、新潟の県の木であるユキツバキと合わせて稱名寺にも植栽されているツバキについて解説したいと思います。

日本に生育する椿はヤブツバキという種類で幹はほぼ直立し四~五メートルの中高木ですが、南方では十五メイトルの喬木に達するものもあります。ヤブツバキにはユキツバキとリンゴツバキの二変種がありますが、栽培品種としては明治初期までに千三百品種程を数え、欧米でも改良されて一万品種はあるとされています。

椿の語源では七説ほどありますが、中村(1998)は主なもの三説を紹介しています。ひとつは「艶葉木」の葉がつやつやした木から転訛したとする説と、葉が厚いことで「厚葉木」から転訛したという説、さらに持論として、落ちた花の中が空洞となった姿が刀の鍔(つば)に似ており、椿を模した鍔を平安時代の古刀によく見かけることから、これが語源ではないかとの推論をたてています。ところが、日本国語大辞典によれば古語の「ツバ」が光沢のある様を表すとしており、植物の茅(チガヤ)をさす地方もあり、その花穂の銀色に輝くさまを表したものと推測できます。また、ツワブキのツワも同じであるとのことで葉の光る蕗(ふき)の意味です。さらに、ツワモノ(強者)のツワは武具のことで、光り輝く武具を着たものであったのではと考えることもできます。これらのことから、椿の語源はツバ木で光沢(ツヤ)のある木とする説が最もわかりやすいと私は考えています。

椿の実からとる油は、食用油、髪を光らせる整髪料などに利用され、木は硬くて木地として器に使用したほか、これらの有用性から椿自体が神聖な木として、榊や呪術に使う槌に使用されたことが知られております。面白いことに日本放送協会が作製したドキュメンタリーで紹介されていたのですが、麹菌を育てるには、椿の木の灰が一番良いとされ、種麹を作るときには、必要不可欠なものであったとすることでした。味噌、醤油、お酒の醸造にも係わっており、古代人の食生活にも重要な役割を果たしてきたと推測されます。さらに、その灰を土にまくと虫よけになるとか、布に当時としては貴重な紫を染めるときの補助剤として入れるなど興味深い記述を見ることもできます。(上原敬二、1969) このように有用な椿が神聖な木とされる理由も納得の行くことです。

ヤブツバキは人間生活と係わりの深い植物ですから、人為的に分布を広められてきた植物でもあります。現在の分布の北限は青森県の夏泊半島の北端にある椿山(天然記念物)で、伊豆の韮山から種を持ち帰り植えたという伝説さえあり、本来の自然分布はかなり南の地方だったと考えられます。椿を挿し木や実生から育てて海岸沿いを北上したという故事はいたるところで伝承や古文書などで伝えられているようです。

次に、京都(北部)、北陸三県から新潟県さらに秋田県までの多雪地を中心に分布する日本海要素の植物の一つで、日本固有変種(固有種とする説もある)のユキツバキについて触れたいと思います。

日本海要素の植物は厳密にいうと、氷河期の遺存種の北方系由来の植物と暖温帯から多雪地に進出した南方系由来の植物で構成されます。ユキツバキは常緑低木匍匐型の植物で、南方系由来の植物に含まれます。これらの種分化の元となった常緑樹は多雪地の環境に適応して分布を広げた植物群で、雪圧への耐性のために稔性を持って根曲がりするものや、雪に覆われるために暖地から進出してきたもの、さらに土壌の水分も豊かであることなどの条件も相まって葉が大きく変化したものなどが、この地域の植物相を形作ってきました。

したがって、南方系由来の日本海要素の植物には種分化のもととなった暖地性の植物があります。ユキツバキとヤブツバキのほかにも、ヒメアオキとアオキ、ヒメモチとモチノキ、ハイイヌツゲとイヌツゲ、ソガイコマユミとコマユミ、チャボガヤとカヤ、ハイイヌガヤとイヌガヤ、ツルシキミとミヤマシキミなど枚挙にいとまがありません。

南方由来の日本海要素の植物を代表するユキツバキはせいぜい高さ二メートル程度の低木ですが、幹は根曲がり状態で、長さでいえば四、五メートルに及ぶものもあるかもしれません。これらの根曲がりの木々は雪解けとともに、残雪をも跳ねのけて春に向かって生長を開始します。時としてこの姿が雪国に生活する人々の忍耐力や粘り強さに喩えられる所以です。

また、ヤブツバキとユキツバキには花の形態においても明らかな違いがみられます。写真一のヤブツバキの花糸(葯のつく柄の部分)は白色あるいは赤白色で、その下部の相当部分が合着していますが、写真二のユキツバキは黄色で合着部分は短いことが特徴です。このほかにユキツバキの葉の光沢が強い点や若枝や葉柄に微毛があることなどが区別点です。

ただ、この二変種の間には写真三にみられるような中間的な個体も多く、ユキバタツバキと名付けられています。花糸が黄色で中間まで合着している個体群です。

石沢(1998)は新津丘陵の椿はこの中間的な性質をもつものが多いことを指摘しています。

現在も降雪量の多さによって進む種分化を示すツバキの仲間ですが、地球全体ですすむ温暖化による影響が心配されます。

冬の積雪量の低下が常態化すれば、多雪地に適応して種分化を進めてきた日本海要素の植物群の分布にも影響を及ぼすことが懸念されます。このことは、日本における生物多様性が失われることを意味し、延いては世界全体の生物多様性を失わせることとなりかねません。近年に多発する気象災害もしかり、すでに抜本的な対策を人類全体で進めていかなければならない時代になったと考えられます。

 

※引用・参考文献
日本国語大辞典(昭和55年1980縮刷版)
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
語源辞典植物編、吉田金彦、2001、東京堂出版
植物名の由来、中村浩、1998、東京書籍(株)
樹木大図説、上原敬二、1969、有明書房
越後=新津丘陵に生きる里山の植物、1998、石沢進監修、㈱考古堂書店

稱名寺とその周辺の植物(11)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第16号(2020年4月発行)からの転載です。

 

稱名寺とその周辺の植物(11)

今回は日本放送協会の時代劇のタイトルで見かけた蛍草(ほたるぐさ)について解説してみたいと思います。この番組ではツユクサの別名ということで紹介されていますが、国語辞典などで調べてみると、蛍草(ほたるぐさ・ほたるそう)として知られる植物は以下の十二種類がありました。

(ほたるぐさ)
ツユクサ
タチテンモンドウ
スギナ
ツメクサ
ホタルブクロ
ウツボグサ
ヒメコバンソウ
オオケタデ

(ほたるそう)
ホタルサイコ
ヒトリシズカ
ホタルカズラ
アケボノソウ

私見ですが、これらの植物の共通点をみると一つ目はツユクサ、ホタルブクロ、ツボグサ、ホタルカズラなどの花の色が青いもので蛍の青白い光にたとえたものからか名付けられたと考えられるものです。二つ目はスギナ(土筆の栄養葉)、タチテンモンドウ(アスパラガスと同じ属)、ツメクサなどの針状の葉をもつものを総じて蛍草と充てている点です。これらについては、蛍狩りの時に蛍籠に入れる草を蛍草と呼ぶことから、葉が細く密生し、露持ちが良いことから用いられたものと考えられます。あるいは、蛍が見つかりやすい場所に生える草とも考えられ、蛍の捕獲したところで飼育用の草を手に入れることが出来るという便利な植物であったかも知れません。

三つ目は蛍とは直接関係のない穂垂草の意味で「ほたる」蛍の字を後であてたものと考えられるもので、オオケタデ、コバンソウなどは花の穂が垂れているのでこの名前が与えられたと考えられます。ちなみに、昆虫の蛍は火(ほ)垂(た)れるが語源です。

このほかのホタルサイコ、ヒトリシズカ、アケボノソウの三種については何故この名を充てたのかは全く考えが及びませんでした。

先述のとおり、物語で取り上げられている蛍草はツユクサを示しておりますが、その語源は露草で、良く露を帯びた草の意味です。その点では、蛍籠に入れた草に含まれるかもしれません。また、ツユクサはつき草ともいい、青い色素で布に摺り染めしたことに由来するとされます。

ツユクサの色素は初期の浮世絵版画で利用されていたと聞きますが、直射日光に晒されると変色し易いので、浮世絵の収集家は日当たりを避けた場所に取り出して鑑賞するらしいです。その後、プルシャンブルー(ベロ藍)がオランダとの交易でもたらされてからは利用されなくなりました。

蛍草を充てた十二種類の中で、稱名寺の境内で生育しているものはツユクサとスギナ、ツメクサの三種類ですが、茶花で重宝されるホタルブクロについても触れてみたいと思います。

ホタルブクロという名前は、蛍狩りのときにこの花筒の中に蛍を入れたことから名付けられたという話がありますが、一説に提灯(ちょうちん)をホタルブクロという地方があり、その形がこの花に似ていることに由来するという人もいます。この説を採用するとしても、提灯という言葉が中国から入る以前に蛍袋があったと考えると、本当の蛍を袋に入れて照明にしていた時代があったかも知れません。いずれにしても、五センチほどの花筒の中に蛍が光る姿を想像するだけでも趣があります。

このように、蛍の名前の付く植物の多いことには改めて驚かされますが、他にもイグサ科のホタルイなどを加えると優に二十種を超える数はあります。このことから日本人と蛍の関係は深いものであったことがうかがえますが、都市部では、その生息地はほとんどなくなりつつあります。果たして本物の蛍を見たことのある子供たちが、どのくらいいるのか、訝られることです。

蛍の生息には、清冽な水流、餌となるカワニナ、繁殖の妨げのならない照明のない暗闇などが必要ですが、蛍の生息が可能なビオトープ(生物生息空間)を作りだすことはなかなか難しいと考えられます。このままでは蛍草の意味も忘れ去られていくことが危惧されますが、なんとか多様な生物的な環境を都市の生活環境にも取り込んでいきたいものです。

稱名寺には生育しておりませんが蛍草と呼ばれる種類のうちで花の美しいホタルブクロ(キキョウ科)とホタルカズラ(ムラサキ科)の二種類の写真を参考までに掲載しておきます。

※引用・参考文献
日本国語大辞典(昭和55年1980縮刷版)
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
語源辞典植物編、吉田金彦、2001、東京堂出版
植物名の由来、中村浩、1998、東京書籍(株)

 

稱名寺とその周辺の植物(10)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第15号(2019年10月発行)からの転載です。

 

稱名寺とその周辺の植物(10)

今回は、稱名寺の庭や春風公園に生育するシダ植物について解説します。種としてはイヌワラビについて解説しますが、その前にシダという大きな分類群の名前の由来について触れてみたいと思います。

これまで本紙に紹介した十八種類の植物は花の咲く顕花(けんか)植物でしたが、シダ植物は花の咲かない陰花(いんか)植物で、葉裏の胞子嚢から飛散する胞子から無性生殖によって増殖します。漢字であらわすと羊歯(ヤウシ)と書きますがこれはシダ植物の細かい鋸歯の連続する形状を羊の歯にたとえて表したものです。これは漢語ですから、大和言葉あるいはそれ以前の古語のシダの本来の意味を説明するものではありません。
語源に触れた文献では「シダの和名辞典(中池敏之」に「シダは『葉が垂れる』の意味との説あり。」との記述があります。シダレザクラやシダレヤナギなどの語頭の音を同じくする重要な指摘と考えられます。確かに若い羊歯の葉が展開するときには、葉の先が柔らかいためにしだれる形を示すことは、よく観察できます。
また、「語源辞典植物編(吉田金彦、2001)」では「下に垂れる意のシダル(垂)の語幹から名詞になったと考えてよい。」ほぼ前説と同じ見解となっています。
このような語源説が唱えられるなかで、私なりにシダの語源について考察してみました。私が秋田県の鳥海山麓にて調査をしていた折りに、シダミ沢という地名があり、地元の人に聞くと楢の実のある沢という意味であることを知りました。楢(主にミズナラ)の実は縄文時代には重要な食糧源であったことと、稲作の始まったそれ以降の時代でも凶作の時の飢饉食として重要な役割を担っていたと考えられます。そのシダミと植物のシダの音の一致は偶然なのでしょうか?
楢の木をシダというほかに、クヌギやトチノキもシダ・シダミと呼ばれたという記録があることから、これらの木々からは丸い実が獲れ、食用になるという共通点があります。また、スダジイという実をあく抜きせずに直接食べることのできる常緑樹も「スダ」と呼んだとのことで、音韻変化「シ→ス」があるとすればスダジイもシダジイであって、丸い実の食べられる木の代表であったかもしれません。
では、木でもないシダ植物が何故丸いのかということを考えてみると、多くのシダ植物は春先の芽だしのときは丸い渦巻き形をしている(下はイノデ類の芽だしの写真)のです。縄文人はこの丸い渦巻き形の中に、春に葉を展開する生命力を感じていたのではないでしょうか。その形状を食べられる動植物の分類に使用したのではないかと考えます。

前川文雄の「植物の名前の話」の中に食べられる貝の名前を木の実の識別に当てはめる話が掲載されています。マテバシイ、スダジイ、ツブラジイの三種についてマテガイ、シタダミ(巻貝)、ツブガイ(タニシ)をあてており、スダとシタダミとの関連を示唆しております。
これらのことからシダの音をもつ木の実や貝の形状からは下に垂れる姿は想像できませんので、シダそのものの示す意味は丸い螺旋形の食物を示すものだったという仮説を提唱したいと思います。
残念ながら「しだ」と「渦巻き状に丸い」ということ直接示す言葉を見つけることはできませんが、狩猟生活を続けた日本人の祖先の一つである旧モンゴロイドの人々の言葉からそのヒントを得られるかもしれません。アイヌや琉球人の祖先、あるいは南北アメリカ大陸の先住民族であるインディアンやインドネシアなどの南部モンゴロイドの古い言葉にその痕跡を見つけることができるかもしれません。今後に期待したいと思います。

イヌワラビ(末尾写真)

写真は稱名寺の境内の庭に生えていたものですが、おそらく、春風公園の低木類の密植された植え込みの中にも生育しているものと考えられます。稱名寺と春風公園に見られるシダ植物は少なく、これまでに三種しかみつかっておりませんが、その中で最も普通にみられるものがイヌワラビです。イヌはどこにでも生えている意味の他に、偽物、利用できない、つまり食用にはならないという意味があります。山菜のワラビは藁に火をつけて燃やした跡に多く出ることによる説と若芽が子供の手(童手=わらびて)に似ていることからワラビになったという説などがありますが、このイヌワラビは本当のワラビとは関係の薄い種類です。

※引用・参考文献
日本国語大辞典(昭和55年1980縮刷版)
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
世界有用植物事典、1989、平凡社
樹木大図説。上原敬二、1969、有明書房
植物の名前の話、前川文雄、1981、八坂書房
語源辞典植物編、吉田金彦、2001、東京堂出版

稱名寺とその周辺の植物(9)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第13号(2018年10月発行)からの転載です。

 

 

稱名寺とその周辺の植物(9)

カクレミノ(稱名寺境内)

稱名寺では鐘楼の傍に一株が植わっています。カクレミノは常緑の広葉樹で高さ数メートルになる小高木です。自然の分布は関東地方南部以西の本州、四国、九州、琉球に分布し、暖地にふつうに生えています。また庭樹としても植えられることも多く、植栽分布はさらに北上しているようです。名前の由来は写真のように若い葉が2・3裂し、隠れ蓑の形に似ていることによります。花は小さい緑色の花火のような散形花序をつけ、黒色の小さい実を多く着けますが、同じ仲間のヤツデほど実の数は多くはありません。このカクレミノは常緑でありながら、ほぼ一年で葉を更新するという珍しい樹木であるとのことです。近縁のチョウセンカクレミノからは黄漆がとれ、日本産のものからも同様な樹脂がとれるらしいです。原稿を書いていて、昔話を思い出し、ネットで探してみましたら「天狗の隠れ蓑」というものが紹介されていました。確か、昔読み聞かせされた記憶があります。年配の方はご記憶にある方も多いと思いますが、今時の子供たちは知っているかな。

 

マルバハッカ(春風公園)

春風公園の南東部のフェンス際に帰化している多年草。ヨーロッパ原産で香辛用に栽培されたものが広がったものと考えられます。全草にメンソール臭があり、手で葉っぱをとり、揉むと一面に匂いが漂います。走出枝を伸ばして繁茂するので、一枚目の写真のように大きな塊となって生育していることが多いようです。葉は無柄で対生し、広楕円形で表面に皺が多く毛を密生しているのが特徴です。花期は夏で、次の写真のように白か淡紅色の唇形の花を穂状につけます。英名はアップルミントと呼ばれ、ハーブティや入浴剤などに利用されています。ハッカ属の植物はこのアップルミントに限らず、薬効が多く知られています。例えば、全草に含まれる精油(植物の芳香性を持った揮発性油)を含んでおり、メンソール、酢酸などの化合物を精製することができ、頭痛、筋肉痛、咽喉の痛み、暑気あたりのめまい、発熱、口渇などに処方されます。私は作ったことはありませんが、ハーブティに入れる場合は乾燥させたりせずに生のままで利用することがお薦めだそうです。
また、数年前から蚊などの忌避剤として効用も注目されはじめ、ハッカ油スプレーのつくり方がネットで紹介されるようになり、用途も多様化しているようです。

※引用・参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
世界有用植物事典、1989、平凡社
日本帰化植物写真図鑑、清水矩宏、森田弘彦、廣田伸七編著、2001、全国農村教育協会
神奈川県植物誌2001、神奈川県植物誌調査会編、2001、神奈川県立生命の星・地球博物館

稱名寺とその周辺の植物(8)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第12号(2018年4月発行)からの転載です。

 

稱名寺とその周辺の植物(8)

ザクロ(稱名寺境内)

 稱名寺では鐘楼の傍に一株が植わっています。柘榴は観賞用、食用、薬用に栽培される落葉樹(湿潤熱帯では常緑)で6~7月に朱紅色の花をつけ、9~10月に結実します。稱名寺のものは立派な実をつけておりました。地中海東岸から北西インドに至る地域に分布し、南西アジア地域で最も古くから栽培された果実の一つです。ギリシャ、中国に早くから伝わり、日本には平安時代以前に伝わったとされています。日本に栽培されるザクロは花を観賞するためのハナザクロが主体で、八重咲品や、白花、黄花、紅花、紅白のしぼりなどの品種があります。一方のミザクロは中国、アメリカ南東部、インドなどで栽培され、50品種程度があるといいます。果実は多数で、淡紅色の透明な膜で覆われ、かむと甘酸っぱい果汁がこぼれ出ます。果皮にはアルカロイドを含有し、駆虫薬や下痢止めに利用されたそうです。

また、ザクロは実の数が多いことから、子宝に恵まれ、家が繁栄するという縁起の良い木とされ、鬼子母神とのかかわりが深く、とくに日蓮宗の寺では、ザクロの絵馬を奉納して祈願するということです。その反面では、花や実が赤いことから、仏壇に供えることを嫌われ、庭に植えると病人が絶えないという言い伝えがある地方もあり、正反対の評価がされていることも興味深いことです。

日本では果物としての営農栽培をすることはなくなりつつあり、店頭に並ぶものは輸入ものがほとんどです。

 

 

メグスリノキ(春風公園)

 春風公園に一株だけ植栽されているカエデです。日本固有種で本州、四国、九州に生育し、高さは10mほどに生長する落葉喬木です。雌雄異株で、葉は三出複葉となる対生です。葉の縁は不規則な低い波形の鋸歯があり、表面にはほとんど毛はありませんが、裏面、特に葉脈には長い褐色の毛を密生しています。三つ葉のカエデは他にミツデカエデがありますが、葉の大きさは小ぶりで、毛の量も少ないので簡単に見分けることができます。

 

樹皮や葉の煎汁を目の洗浄に使用したことでメグスリノキの和名があります。これは樹皮にロドデンドロールなど多くの有効成分が含まれており、眼病の予防・視神経活性化・肝機能の改善などの効果があることが星薬科大学の研究により実証されています。近年、メグスリノキの効用を評価されたことで、栃木県内の道の駅などに売られることもよく見かけるようになり、商品価値が見いだされたことで、山林などでの過剰な伐採も問題となっています。

別名に長者の木という名前があり、その語源は不明ということですが、材が強靭で建材や床柱に利用されたことに、由来するのかもしれません。

※引用・参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
世界有用植物事典、1989、平凡社

稱名寺とその周辺の植物(7)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第11号(2017年10月発行)からの転載です。

 

ビワ(稱名寺境内)

ビワは九州、四国の石灰岩地帯では野生があるとされており、多くは果樹として広く栽培され太平洋岸では千葉、日本海側では富山より南側の地で生育しているバラ科の常緑樹です。葉の表面ははじめ毛がありますが後に無毛となり光沢があります。葉脈は窪んでおり、対照的に葉裏には淡褐色のラシャ状の毛を密生しているのが特徴です。

大塚敬節(1975)が書いたビワの薬効の強さを現す話が古い新聞記事に掲載されていましたので、その骨子を紹介します。

大正から昭和にかけてある高名な僧侶が枇杷の葉で難病痼疾を治すことで有名であったという。あるとき腹水がたまった難治の患者を治療してもらったとき、枇杷の葉の光る側に墨でお経を書いて、火鉢でその葉を温めながら、五分程度その患者の腹をさすったところ、一時間もたたないうちに腹水は尿として排出されて、腹はぺしゃんこになったとのことであった。

また、明治時代には、夏負け予防に飲む枇杷葉湯というものがあり、この枇杷葉湯は枇杷の葉をいちばん多くいれ、陳皮(みかんの皮)、ホオノキの皮、甘草などを入れて煎じて飲む。枇杷の葉を10グラムほど一日量としてお茶替わりに煎じて飲むと咳に聞く、また胃をじょうぶにする効果もあった。さらに、葉を神経痛などで痛むところにあてていると痛みが軽くなどの薬効があるという。昔は癌などの終末医療で麻酔を使うことがなく、枇杷の葉を温めて痛むところにあてていると痛みが軽快するということであったらしい。

私も稱名寺の檀家になるかならないころ、見知らぬ人に境内のビワの葉を分けてもらえないかとせがまれて、困惑したことを思い出しました。その人もビワ茶をつくるとかいっておりましたが、その場では即答はできず、お寺のご住職に聞いてくださいと答えておきましたが、その後どうなったか?勝手にとって行ったのかもしれません。それでも、枇杷は稱名寺の塀の外へも青々と葉を繁茂させておりますので、それほど影響はなかったように思えます。

アシタバ(春風公園)

関東南部から紀伊半島に至る海岸付近に分布し、伊豆諸島にも生育するセリ科の大型の多年草です。名前は明日葉で、葉を摘んでもその翌日には新しい葉が生えてくることから、繁殖力の旺盛さを現すものです。

時たま栽培されているものが逸出して生育していることがあり、春風公園の個体もどこかの圃場に生えていたものが、樹木の移植に伴い、持ち込まれたものと考えられます。

私が神津島で空港建設の環境調査を実施していたころ、宿で亀の手とこのアシタバの若葉を入れたお吸い物を出してくれ、とても美味であったことを今でも覚えております。アシタバの葉は独特の香りがあり、初めて食べた人には好き嫌いが分かれるかもしれませんが、私は普通の香味野菜として十分楽しめる食材ではないかと思います。若葉はすこし苦みがありますが、セロリと同じように食することができます。

最近の話題では伊豆大島で、動物園から逃げ出して野生化したキョンの大繁殖に伴い、アシタバ畑での食害が大問題となっている報道がありました。因みに同じ動物園から逃げ出して繁殖したタイワンリスはツバキ油の栽培収穫にも大打撃を与えているようです。外来種を移入するときは、その種類が野生化した場合の危険性を前もって予測して十分注意する必要があるようです。

 

※引用・参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
本草新話 ビワの葉①②、大塚敬節、1975、読売新聞
世界有用植物事典、1989、平凡社

稱名寺とその周辺の植物(6)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第10号(2017年4月発行)からの転載です。

 

ギボウシ類(稱名寺境内)

ギボウシはユリ科ギボウシ属の多年草で、アジア東部特産の植物です。日本では擬宝珠の漢字名があり、神社仏閣や橋の欄干につけられる宝珠に葉の形(一説に花茎の先の苞の集合体)が似ていることによって名付けられたものです。宝珠は仏教の象徴である火焔を模ったものですから、お寺さんには縁の深い植物だといえます。

江戸時代から庭などに植えられ親しまれたもので、種類にもよりますが、日当りの良い、やや湿った草地などに生育し、高さ30~100㎝前後(最大は2m)になります。横に這う根茎があり、葉は斜めに立ち、葉身は細長いへら状のものもありますが、多くは種名の由来となった宝珠型のものから長楕円形のものが主流です。花は小さいもので長さ3cm、大きいものは14cmになるものもありますが、多くは5cm内外の筒状鐘型の薄紫から紫色の花をつけます。

長い間栽培され品種改良されてきた種類で多くは交雑するので、分類はかなり難しいですが、近年の見解の一つとして、日本産のギボウシ属は十三種程度に整理されるようです。ちなみに、稱名寺のものは花の色が薄いことや、苞が緑色で舟形をしていることから、キヨスミギボウシに近い種類ではないかと推測されます。また、春風公園にもギボウシ属の一種が植えられておりますが、これは花の内側の筋の色が濃い紫色を示すことからコバギボウシに近い形質を持ったものと推測されます。

また、ギボウシ類の若葉は「ウルイ」と呼ばれ、東北地方では重宝される山菜のひとつで癖がなく、お浸し、和え物などに利用します。最近は都会のスーパーでも売られようになってきましたが、まだ認知度は低いようです。

 

エゴノキ(春風公園)

 

エゴノキは果皮に毒の成分があり、えぐみがあることから、えごい木からエゴノキとなったとされています。この毒はエゴサポニンとされ、昔はこの果皮を川に流してウナギなどをとる魚毒として利用したり、洗剤の代わりに用いられたということです。別名にドクノキ、セッケンノキという地方もあるそうです。

本種は山麓や山の谷間に多い高さ7~8mの落葉小高木で樹皮は暗灰褐色で二年枝は糸状に剥げ落ちます。春風公園では五月のはじめに、一年枝の先に一つから四つの総状の花を下向きに着けます。花は五裂して白色、これで下向きの花にとまることが苦手なハナアブやチョウを排除し、より自分に都合よく花粉を運んでくれるハナバチ類だけを選ぶことができる構造になっています。

材は白くて均質で粘り強く、人形やろくろ細工などに使われ、特に傘の柄などに使われたようです。また、七月頃、枝先に「えごのねこあし」とよばれる白い毛のある猫の足に似たものをつけることがよくありますが、これはエゴノネコアシアブラムシが寄生してできる虫こぶで、これを蓮の花にたとえてみることもあります。

※引用・参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
渡辺健二、1985.ギボウシの観察と栽培、ニュー・サイエンス社
世界有用植物事典、1989、平凡社

稱名寺とその周辺の植物(5)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第9号(2016年10月発行)からの転載です。

 

キササゲ(稱名寺境内)

中国原産の樹木で、日本では庭に植えられるか、しばしば、河川に野生化している落葉高木です。高さは3~6m、高いものは12mに達します。私は新潟県の十日町で、神社の周辺に植えられているものを見たことがあります。名前は木ササゲでマメ科の一年草のササゲ豆に似た蒴果をつけることからこの名がついたと考えられています(ササゲ豆は赤飯に入れるマメです)。

キササゲの果実は梓実といわれ、良い腎臓病の薬とされてきました。また、その材は軽く、下駄、器具、版木に利用されたらしいです。若葉は食用になるとされ、その樹皮や根皮は解熱、駆虫、黄疸に利用され有用樹木であることは間違いようです。大切に育てられて来た樹木のようです。

コムラサキとシロシキブ(春風公園)


公園などでムラサキシキブとして植栽されている木はほとんどがこのコムラサキです。本当のムラサキシキブがふつうの里山に生育しているのに対し、このコムラサキはハンノキなどの生える湿った谷などに生育している種類です。

また、花柄が葉腋(枝と葉の付け根)からでるのに対し、葉腋のやや上方に離れて出るのが特徴です。葉の形状にも特徴があり、葉の下半分には鋸歯はなく、葉の上方に低い鋸歯が現れます。これに対しムラサキシキブは葉の全体に鋸歯があります。六月から七月にかけて、桃色の総状花序を多数つけ、八月下旬から九月にかけて紫色の実をつけます。実の色の白いものをシロシキブといい、公園にも多く植栽されています。シロシキブの花も白く、小枝の色も赤い色素が抜けていて、緑色を示していることで花がなくても花と実の色を推測することができます。

ムラサキシキブの植物名の由来はもちろん、あの源氏物語の作者の紫式部から名前をいただいたのですが、その経緯は江戸時代の中期ごろからという説を唱える本もあります。これによると、当初はムラサキシキミ(むらさき重み)と呼ばれていたが、その後優雅なひびきとともにこの名前が定着したと考えられています。別名にハシノキ、コメノキなどがあり、それぞれ、箸に利用されることと、米の木で実が赤米を盛ったように見えることなどからつけられたと考えられます。

※参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、牧野富太郎、2000、北隆館
世界有用植物事典、1989、平凡社
植物名の由来、中村浩、1998、東京書籍株式会社

稱名寺とその周辺の植物(4)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第8号(2016年4月発行)からの転載です。

 

オオアラセイトウ(稱名寺境内)

オオアラセイトウ オオアラセイトウ

「オオアラセイトウ」 中国原産で花卉として導入され、日本の各地で逸出・野生化している越年生草本です。道端や土手、のり面などに人為的に播種されることもあります。紫の花を一面に咲かせる光景は圧巻です。

稱名寺では南東部の境界付近の草むらにわずかに生育しています。全体に無毛で、茎は上部で分枝し、高さ60㎝ほどになります。葉は上部のものは長楕円形ですが、茎の下部のものと根生葉は羽状に唇裂します。

春に枝の先端に直径3㎝ほどの紫色の4弁花を総状につけます。果実は10㎝に達する長角果をつけ、熟すと四つに避けて黒い種を自然に弾き飛ばします。江戸時代に移入されましたが、第二次大戦前に中国から持ち込んで再び広められたことで一般に知られるようになりました。

別名、ショカツサイ、ハナダイコンなど多様な名前で呼ばれています。中国名のショカツサイ(諸葛采) は諸葛孔明が栽培を薦めたとの伝説からきたものとされ、若芽は煮てから水にさらし、にがみを取ってから食用にされる。また、種子から食用油がとれるそうです。ただし、諸葛采は蕪を指すという説もあり、その真偽は確認することはできませんでした。

 

フユザクラ? 十月桜? (春風公園)

フユザクラ?(十月桜?) フユザクラ?(十月桜?)

フユザクラ? 十月桜?」 フユザクラは「小葉桜」とも呼ばれ江戸時代後期から栽培されてきた桜です。オオシマザクラとマメザクラの雑種とされ、伊豆や房総に自然分布もあります。花は3~4㎝で大輪、白から淡紅色と文献では記述されています。ところが、春風公園のフユザクラとされる木は花も小さくやや赤みが強く八重であることなどから、この植物名札(Prnus × parvifolia)に当たらない種類であると考えられます。

周辺の桜ではソメイヨシノが下平間小学校との境界部に植栽されています。これはエドヒガンとオオシマザクラとの雑種で、これほどの華やかさはないですが、このフユザクラとされる桜は十月ごろから春先にかけて長い間花を楽しめる桜です。

文献を当たると春風公園のフユザクラとされるものは、どうやらマメザクラとエドヒガンとの雑種の十月桜が正しいようです。その理由の詳細を示すと花が小さく八重であること、花の色が淡紅色であること、つぼみの先にめしべが出ること(雌蕊が長い)、さらに萼や小梗に毛があること(フユザクラは無毛)などが特徴です。葉の形もマメザクラの欠刻鋸鹵があり側脈の数も多い(エドヒガンの特徴)ことからもオオシマザクラよりはエドヒガンの血が混ざっていることが伺えます。
その真偽はともかく、木の花の美しさをご堪能ください。

※参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、2000、北隆館
世界有用植物事典、1989、平凡社 日本の桜、2001、㈱学習研究社

稱名寺とその周辺の植物(3)

稱名寺では年に2回(春と秋)に『稱名寺通信』として、寺報(お寺の広報紙)を発行しております。その中で、2014年の秋から稱名寺門徒の浅間恒雄さんに、「稱名寺とその周辺の植物」と題して、境内や山門前の春風公園にある植物の解説をご寄稿いただき、紹介いたしております。
今回の記事は、稱名寺通信第7号(2015年9月発行)からの転載です。

 

昨年の春から今年の五月までのほぼ一年間にかけて稱名寺の境内と春風公園に生育する植物を調査した結果、在来種以外にも植栽種や帰化種を含めて七十九科二百二十種前後の植物が確認されました。今回はその中から境内に生育しているヤブカンゾウとシキミについて紹介します。

ヤブカンゾウ(稱名寺境内)

ヤブカンゾウ

「ヤブカンゾウ」 和名は中国名の萱草(カンゾウ)に由来する多年草。中国ではこの花を見て憂いを忘れるという故事があり、「忘れる」に萱の字を宛てることからこの名前が付けられたとのことです。また、日本では「忘れ草」として、数多くの大和歌の題材として使われています。ヤブカンゾウは七月ごろ写真のとおり八重の橙色の花をつけますが種子は出来ず根茎から横に伸びる枝を出して増えます。

日本では人家の周辺に多く生育しており、もとは中国の原産のものが、栽培植物とともに移入されて分布を広げたものと推測されます。境内に多く植えられているヒガンバナと同様に有史以前に帰化した植物という意味で史前帰化植物と考えられています。稱名寺では御門を入った左側のアメリカノウゼンカズラの根元に植わっています。

話は変わりますが「忘れ草」の対照の意味を持つ植物では、「忘れ名草・ワスレナグサ(ムラサキ科)」、「思い草・シオン(キク科)・ナンバンギセル(ハマウツボ科)」などがありますが、いずれも稱名寺や春風公園では見ることはできない植物です。

 

シキミ(稱名寺境内)

シキミ

「シキミ」 日本各地の山林中に生育する常緑小高木で仏壇や墓に供えたりして、仏事に多く使用されることからお寺さんとの係わりの深い植物ですが、一般の庭には植えないようです。稱名寺では釣鐘とお墓の間に植わっています。前回のカラタネオガタマの解説の際に触れた榊の一つとして昔から利用されてきた低木の一つですが、供花に代用したことから花榊と呼ばれていたようです。

シキミという和名は有毒であることから「悪しき実」のアの字がとれたものという説や、「臭き実」と意味からという説など、いずれも実の性質からの由来です。葉や枝にも独特の香りがあり、線香の原料として利用されています。

同じ属のトウシキミの実は八角(スター・アニス)として中国料理の香辛料として利用されていますが日本のシキミは有毒で食べると死亡することもあるので要注意です。

※参考文献
新訂牧野新日本植物圖鑑、2000、北隆館
世界有用植物事典、1989、平凡社